安保法制違憲訴訟の会・大分

裁判所に提出した書類等

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原告意見陳述

原告 二宮孝富さん

(2018年4月19日第5回口頭弁論期日での原告意見陳述)


第1 はじめに

1 私が、この裁判で最も強く訴えたいことは、安保法制(以下、戦争法という)によって日本が再び戦争する国、即ち「加害者」となることの不安です。

2 私が抱くこの「不安」は、被告が言うような「漠然とした不安」ではなく、極めて具体的且つ現実的な不安です。私は、本裁判にあたって法学の研究者である原告という立場から意見を述べます。


第2 憲法前文について

1 日本国憲法前文は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」して「主権が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する」とあります。これは、国民が主権者となって政府に戦争させないこと、すなわち、何よりも加害者とならないようにすることに重点があります。

2 これまで、戦争といえば、空襲や原爆という、被害の側面が主に語られてきました。しかし、それ以前に、日本は、重慶に無差別都市爆撃の先例を作り、それが日本の都市への空襲や原爆につながったのです。たしかに、わが国はたいへんな被害を受けました。しかし、再び「戦争の惨禍」が起こることのないようにするためには、加害の事実から目をそむけることなく、加害者にならないことに重点を置くことこそ、憲法の精神に十全に適うものとだと思います。

3 昨年日本放送文化大賞グランプリを受賞した「記憶の澱」というドキュメンタリーの中で、元日本軍兵士が中国戦線で行った銃剣での捕虜の刺殺や強姦等の残虐行為を、苦痛の表情で告白しています。最近、イラクから帰還した米軍兵士や自衛隊員に、精神に異常を来たしたり、自殺する者が多いといわれているように、兵士は、人を殺し・傷つけた罪悪感に苛まされるのです。私は、日本の若者にこのような「加害者」としての苦痛を絶対に味わわせたくないのです。


*昨日の朝日社説には、2015年時点で自衛隊の自殺者29人認定とあります。



第3 この裁判に至った理由と私が抱く不安について

1 私が戦争法は憲法違反であることを裁判で問うべきであると考えるに至った理由は2つあります。

(1) 一つは、戦前の徴兵制と「家」制度の関係について研究した経験に基づくものです。軍事優先の明治国家において、国民は、徴兵で働き手を奪われて困窮したり、戦死者の遺族が路頭に迷ったりしても、兵役義務の遂行は「名誉」とされたために、国から十分な救済をうけることができずに、家族・親族や共同体の扶助が推奨されたのです。その歴史を紐解く中で、私は、戦後、徴兵制も「家」制度も廃止されたことの意義を高く評価し、非戦・非武装の平和主義を信念とするようになりました。この信念から、再び戦争する国になることに不安を覚えているのです。

(2) もう一つは、50年前の1968年6月2日、九大電算機センターへのファントム墜落事故を目の当たりにした経験です。私は、これを契機に安保条約に関心をもつようになり、最近改めてその歴史を調べました。その結果、日本が対米従属状態にあり、何よりも、自衛隊が米軍の指揮下にあること、しかも、それは安保条約制定当時からの米国の狙いで、日米間で密約が交わされていたこと、それが60数年後の今現実になったということ、に心底驚かされました。この対米従属状態において、今、北朝鮮に軍事的挑発を続ける米軍と共同行動をとれば、自衛隊が戦争に巻き込まれる危険が非常に大きくなります。戦争法は、米艦防護や戦闘地域での給油等の支援活動を可能にしましたから、戦争に巻き込まれる危険は、先日公表されたイラク日報に書かれている自衛隊の状況とは比較にならないほど大きく、私はこの点にも不安を覚えているのです。
2 私が抱く不安は「具体的・現実的」であると考える理由を2点述べます。

(1) 一つは、近年日米軍事同盟が強化され、今や米軍と自衛隊は一体として軍事行動ができるようになっています。その際に、自衛隊の兵器はほぼ米国製で、コンピューター制御で全て米軍とリンクしているため、自衛隊は米軍の指揮下でしか動けないのです。そして、最近の自衛隊は、敵基地攻撃可能な巡航ミサイルなど、海外で戦闘するための装備を整えています。この現状から、いつでも自衛隊は米軍に指揮されるまま海外で武力行使しうる態勢ができていることがわかり、戦争への不安は極めて現実的・具体的といえます。

(2) 二つ目は、「戦争する国」への法整備がなされたことです。1999年以来、周辺事態法から戦争法までの有事法制と、それと並行して、盗聴法・共謀罪法などの治安立法が制定され、外に「戦争国家」、内に「監視社会」という「戦争のできる国」としての法制度上の枠組みが出来上がっています。このことからも、戦争への不安は、極めて現実的なものとなっているのです。

安倍首相は、北朝鮮情勢を国難とまで断定し、国会でも「重大かつ差し迫った脅威」を強調しました。ところが、現職自衛官が戦争法の違憲性を訴えた裁判で、国は「存立危機事態を想定しうる状況にない」といったのです。今になって、国が「戦争の差し迫った脅威はない」というのは、二枚舌といわなければなりません。先に述べたように、戦争する国としての法整備がなされ、北朝鮮危機を口実に米軍と自衛隊が共同行動をしていることなどをみれば、誰もが差し迫った戦争の不安を覚えるのは至極当然であり、決してこ
の不安は漠然としたものではありません。



第4 本訴訟の意義について

1 次に、この訴訟の意義について述べます。

(1) 戦争法の違憲性を問うこの訴訟は、法治国家として本来の憲法秩序を取り戻す点で二つの大きな意義があると考えます。

(2) 一つは、最高規範としての憲法の復権をはかることです。今、自民党が提案している9条に自衛隊を書き込む案は、集団的自衛権を行使できる自衛隊を憲法が容認することを意味します。戦争法の違憲性を明らかにすることは、このような憲法を破壊しようとする動きに歯止めをかけることになります。また国会を通らないガイドラインを基にして憲法違反の戦争法が制定され、同時に、自衛隊の活動範囲を地球規模に拡大して安保条約が変質させられたことは、正規の手続きを踏まずに憲法や条約を変更した、いわゆる「法の下克上」です。戦争法の違憲性を明らかにすることは、裁判所が、このような「法の下克上」によって憲法や条約の破壊を許さないという毅然とした姿勢を示す絶好の機会だと思います。

(3) 二つ目は、司法の尊厳を回復することです。わが国の司法は、砂川判決以来、地位協定の下での治外法権状態から目をそらし、司法は地に落ちたとまでいわれています。ガイドラインの実施法である戦争法の違憲性を明らかにすることは、安保条約に対する憲法の優位をかちとることであり、司法の尊厳と主権の回復にむけて非常に大きな意義があるのです。

2 むすび

 私は、主権者である国民のひとりとして、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることがないようにするために、この裁判に臨んでいます。 以上述べましたように、私が戦争法によって抱いた「不安」は、決して漠然としたものではなく、極めて具体的・現実的なものです。この不安こそ、戦争の恐怖も心配もない平穏な状態で生存する権利である「平和的生存権」の侵害による精神的苦痛であることを強調しておきたいと思います。 裁判官におかれましては、是非とも憲法の精神を貫徹されるご審議を宜しくお願い致します。

原告 宮ア優子さん

(2017年5月25日第1回口頭弁論期日での原告意見陳述)


1.生い立ち

 私は、戦後のみんなが貧しかった時代に生まれ育ちました。子どもたちは団子になって遊び、夕暮れ時母親たちが迎えに来るまで遊びほうけていました。時には近所の家で誘われるまま夕食を食べお風呂まで入って帰ることも。裕福な家がテレビを買うと、みんな毎晩見せてもらいに集まりました。そんなことが当たり前の時代でした。頂き物があれば、近所にお裾分け喜びも悲しみも半分こに。クリスマスもハロウィンもありませんでしたが、お寺や、大きな家の広い土間や庭で、時々お接待と言ってお菓子や食べ物が配られました。子どもたちは誘い合わせて並んだものです。みんなが一様に貧しくて、でも貧しいことが当たり前で明るくて活気に満ちていた時代でした。
 学生時代には70年安保闘争を体験しました。入学したとたん米軍のファントムが大学の中にある建設中の電算機センターに突っ込んで、抗議の座り込みを始めました。知らない事がなんとたくさんあることか気付かされた発端でもありました。日本は本当にアメリカに守られているのか。沖縄の人たちの想いを私たちは受け止めているか。日本国憲法は守られているのか。


2.戦争体験や平和との関わり

 戦後生まれですから自分の戦争体験はありません。父は特攻隊で(次男で損をしたと言っていました)特攻基地のあった瀬戸内海の大島での体験を話してくれました。広島の原爆も目撃しています。でも私の体の中に平和への想いが刷り込まれたのは、母との体験からです。母は大正15年生まれ、敗戦の時19歳、8月9日のソ連軍侵攻の時満州にいました。母から聞いた話なのでどこまで事実なのかは分かりませんが、当時南方での戦局悪化で精鋭と言われていた関東軍は列車で南進し、満州にいたのは現地召集された年取った兵隊と住民たちでした。母は満鉄の社宅にいて、みんなと一緒に逃げ出したのですが、列車は無くて貨車で、それも無蓋車といって天井のない貨車で、すし詰め状態で大陸を南下したそうです。機銃掃射を受けた時も、天井があれば死ななくて済んだ人もいただろうに、自分は撃たれた人の体の下に潜り込んで生き残ってしまった、本当に申し訳ないと泣いていました。収容所に入れられてから頭を剃って丸坊主にして男の子のようにしたそうです。戦争の体験を語ったあと、母の話の締めくくりはいつも「国家は決して国民を守りはしない。私たちは国家に捨てられた棄民なのよ」という言葉でした。母の体にしみ込んだ思想だったのだと思います。
 母は肝臓がんで70歳で亡くなりました。国立病院に入院していたのですが、幻覚を見るようになり自分が収容所にいると思い込んで夜脱走しました。病院のみなさんに大変なご迷惑をおかけしたのですが、最期は家で看ることが出来ました。昼間は穏やかないつもの母なのですが、夜になると「憲兵が来る」「飛行機が」「撃たれる」と怯えて体中が震えるのです。母の体を抱きしめて、背中をさすりながら「大丈夫よ、大丈夫よ」と呪文のように声を出し続けていると母の冷え切った体はゆっくり温まってきて眠ってくれます。戦後50年も経って平和な社会の中で、母は終わりのない戦時を生きているのです。
1ヶ月2ヶ月経つうちに私も夜が怖くなりました。母の中で続いている戦争が伝染してきたように心が悲鳴を上げ始めたのです。3ヶ月が経って「ああこのまま母と同化してしまうのか」と覚悟した時、母は静かに逝きました。
 戦争が終わって50年経っても70年経っても、体験した恐怖は消えません。
 私は「赤とんぼの会」に入っています。毎年8月15日に憲法九条を掲げる一面広告を県下4紙に出しています。戦争体験者からのお手紙で、上官の命令で捕虜を銃殺した夢をいまだに見てうなされるなど家族にも話せないでいる体験を書いてくださいます。  最近では訃報のお知らせが多くなっていますが・・・


3.安保法制やその制定経過に対する思い

 安保法制が民主主義のルールを無視して閣議決定され、強行採決されるのをみて、戦争体験者がいなくなっていくことがこのような理不尽な結果を招くのではと感じました。内地(母は日本を内地と呼びました)に帰って憲法九条を知って周りが輝いて見えたと語っていた母は、政治的な活動はしませんでしたが、常に政府の行動に関心を寄せていました。憲法尊重義務のある政府が、何かと九条を曲解するのを見て、内地の人たちは戦争体験が無いようだと皮肉っていました。
 戦争体験が風化していく中、いつか来た道を歩き始めている気がしてしょうがないのです。
 多くの憲法学者が安保法制は違憲であると声明を出す中強行採決された法案が、施行されて効力を発揮していくのを目の当たりにして、日本は法治国家と呼んで良いのだろうかと本当に心配しています。
 イギリスのBBC放送が「安倍首相は平和憲法を変えたいと思っているが、難しいので安保関連法を作った。北朝鮮がもたらす脅威は、安倍首相にとって有利にはたらいている」と報道したそうです(5月7日サンデーモーニングより)。BBC放送は日本のNHKと同じく国民の受信料で運営されている公共放送です。BBCの報道はヨーロッパ各国の思いも伝えている気がするのですが。


4.安保法制による被害

 私には子どもが3人います。孫も3人出来ました。この子たちにテロや戦争のない平和な社会を残したいと心から願っています。法案の内容を知って驚いています。日本政府には日本国憲法を守る義務があります。日本国憲法は生きています。武力では紛争は解決しないとあれほど肝に銘じたのではなかったのでしょうか。いま世界中にポピュリズムの嵐が吹いています。自分の国が一番、強くなりたい、豊かになりたい、他の国を踏み台にして・・・そんな中へ日本も乗り込んでいくつもりなのでしょうか。貧しくてもみんな一緒だった時代に生きた者として、今の日本の在り方が危うく見えて仕方がないのです。
 米国合衆国がシリアの空軍基地を59発のミサイルで攻撃した時も、安倍首相はすぐに支持声明を出しました。
 どうして支持できるのでしょうか、つい最近のことです、同じようなことがありました。空爆、イラク戦争、武力で一つの国を破壊した挙げ句イラクの大量破壊兵器はなかったではありませんか。間違ってたで済まされません、劣化ウラン弾の被害で今も苦しみ続ける子どもたち、イラクは現在平和ですか。あの時いち早くアメリカの空爆支持声明を出した小泉首相(当時)は今どう思っているのでしょう。テロはどうして起こるのか、理由はたくさんあるでしょう、でも貧しさが一番の原因になっているのではないでしょうか。格差は国内だけでなく世界中に広がっています。自分たちの豊かさを見せつけておきながら、お前たちは貧乏なままで我慢しろと頭を押さえつけるのが正義でしょうか?広がっていく格差を小さくする努力の方が、武力による攻撃よりも大きな成果を上げると思うのです。
 これまでの政府が、あれほど慎重に対処してきた集団的自衛権の行使まで踏み込んだ安保法制は一体誰のための法案でしょう。
 日本政府は、本当に国民の安全を考えているのでしょうか。
 私は、政府はまた国民を捨てる気でいると本気で考えています。
 テロにも無防備な原発を海岸線に54基も抱えて、せっかく止まっている原発を次々と再稼働させる。北朝鮮のミサイルを心配しているのは、国民やマスコミだけではありませんか。こどもたちに負の遺産しか残せない親の気持ちを考えてください。


5.裁判所に対する要望

 安保法制は日本国憲法に違反していると思います。民主主義がこんなにも脆いものだとは考えてもいませんでした。私たちは法治国家日本に住んでいるのだと胸を張って言える国にしてください。
 私は裁判を起こして原告になるとは夢にも思っていませんでした。大分裁判所がどこにあるのかも知りませんでした。安倍首相のおかげで大変なことになったと思っていましたが、今は原告になって良かったと思います。原告は42名います。一人一人それぞれの想いを抱いて原告になる決心を固めた事と思います。どうか一人一人の声に耳を傾けてください。原告だけではありません。日本国憲法は自衛隊の若者たちの命も守ってきました。私は長く自衛隊の基地の街に住んでいました。友人もたくさんいます。今自衛隊員の家族がどんなに大きな不安を感じているか、原告になりたくてもなれないのです。
 友人たちの大きな不安や、先の戦争を身を挺して防げなかった父や母の思いも背負いながら裁判に臨んでいます。戦争を体験した人たちが唯一勝ち取ったものが日本国憲法です。「負けてほんとによかった」と何度も笑った父の声が聞こえてきます。ご審議をよろしくお願いします。