安保法制違憲訴訟の会・大分

裁判所に提出した書類等

 ■訴状PDF


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原告意見陳述

原告 宮ア優子さん

(2017年5月25日第1回口頭弁論期日での原告意見陳述)


1.生い立ち

 私は、戦後のみんなが貧しかった時代に生まれ育ちました。子どもたちは団子になって遊び、夕暮れ時母親たちが迎えに来るまで遊びほうけていました。時には近所の家で誘われるまま夕食を食べお風呂まで入って帰ることも。裕福な家がテレビを買うと、みんな毎晩見せてもらいに集まりました。そんなことが当たり前の時代でした。頂き物があれば、近所にお裾分け喜びも悲しみも半分こに。クリスマスもハロウィンもありませんでしたが、お寺や、大きな家の広い土間や庭で、時々お接待と言ってお菓子や食べ物が配られました。子どもたちは誘い合わせて並んだものです。みんなが一様に貧しくて、でも貧しいことが当たり前で明るくて活気に満ちていた時代でした。
 学生時代には70年安保闘争を体験しました。入学したとたん米軍のファントムが大学の中にある建設中の電算機センターに突っ込んで、抗議の座り込みを始めました。知らない事がなんとたくさんあることか気付かされた発端でもありました。日本は本当にアメリカに守られているのか。沖縄の人たちの想いを私たちは受け止めているか。日本国憲法は守られているのか。


2.戦争体験や平和との関わり

 戦後生まれですから自分の戦争体験はありません。父は特攻隊で(次男で損をしたと言っていました)特攻基地のあった瀬戸内海の大島での体験を話してくれました。広島の原爆も目撃しています。でも私の体の中に平和への想いが刷り込まれたのは、母との体験からです。母は大正15年生まれ、敗戦の時19歳、8月9日のソ連軍侵攻の時満州にいました。母から聞いた話なのでどこまで事実なのかは分かりませんが、当時南方での戦局悪化で精鋭と言われていた関東軍は列車で南進し、満州にいたのは現地召集された年取った兵隊と住民たちでした。母は満鉄の社宅にいて、みんなと一緒に逃げ出したのですが、列車は無くて貨車で、それも無蓋車といって天井のない貨車で、すし詰め状態で大陸を南下したそうです。機銃掃射を受けた時も、天井があれば死ななくて済んだ人もいただろうに、自分は撃たれた人の体の下に潜り込んで生き残ってしまった、本当に申し訳ないと泣いていました。収容所に入れられてから頭を剃って丸坊主にして男の子のようにしたそうです。戦争の体験を語ったあと、母の話の締めくくりはいつも「国家は決して国民を守りはしない。私たちは国家に捨てられた棄民なのよ」という言葉でした。母の体にしみ込んだ思想だったのだと思います。
 母は肝臓がんで70歳で亡くなりました。国立病院に入院していたのですが、幻覚を見るようになり自分が収容所にいると思い込んで夜脱走しました。病院のみなさんに大変なご迷惑をおかけしたのですが、最期は家で看ることが出来ました。昼間は穏やかないつもの母なのですが、夜になると「憲兵が来る」「飛行機が」「撃たれる」と怯えて体中が震えるのです。母の体を抱きしめて、背中をさすりながら「大丈夫よ、大丈夫よ」と呪文のように声を出し続けていると母の冷え切った体はゆっくり温まってきて眠ってくれます。戦後50年も経って平和な社会の中で、母は終わりのない戦時を生きているのです。
1ヶ月2ヶ月経つうちに私も夜が怖くなりました。母の中で続いている戦争が伝染してきたように心が悲鳴を上げ始めたのです。3ヶ月が経って「ああこのまま母と同化してしまうのか」と覚悟した時、母は静かに逝きました。
 戦争が終わって50年経っても70年経っても、体験した恐怖は消えません。
 私は「赤とんぼの会」に入っています。毎年8月15日に憲法九条を掲げる一面広告を県下4紙に出しています。戦争体験者からのお手紙で、上官の命令で捕虜を銃殺した夢をいまだに見てうなされるなど家族にも話せないでいる体験を書いてくださいます。  最近では訃報のお知らせが多くなっていますが・・・


3.安保法制やその制定経過に対する思い

 安保法制が民主主義のルールを無視して閣議決定され、強行採決されるのをみて、戦争体験者がいなくなっていくことがこのような理不尽な結果を招くのではと感じました。内地(母は日本を内地と呼びました)に帰って憲法九条を知って周りが輝いて見えたと語っていた母は、政治的な活動はしませんでしたが、常に政府の行動に関心を寄せていました。憲法尊重義務のある政府が、何かと九条を曲解するのを見て、内地の人たちは戦争体験が無いようだと皮肉っていました。
 戦争体験が風化していく中、いつか来た道を歩き始めている気がしてしょうがないのです。
 多くの憲法学者が安保法制は違憲であると声明を出す中強行採決された法案が、施行されて効力を発揮していくのを目の当たりにして、日本は法治国家と呼んで良いのだろうかと本当に心配しています。
 イギリスのBBC放送が「安倍首相は平和憲法を変えたいと思っているが、難しいので安保関連法を作った。北朝鮮がもたらす脅威は、安倍首相にとって有利にはたらいている」と報道したそうです(5月7日サンデーモーニングより)。BBC放送は日本のNHKと同じく国民の受信料で運営されている公共放送です。BBCの報道はヨーロッパ各国の思いも伝えている気がするのですが。


4.安保法制による被害

 私には子どもが3人います。孫も3人出来ました。この子たちにテロや戦争のない平和な社会を残したいと心から願っています。法案の内容を知って驚いています。日本政府には日本国憲法を守る義務があります。日本国憲法は生きています。武力では紛争は解決しないとあれほど肝に銘じたのではなかったのでしょうか。いま世界中にポピュリズムの嵐が吹いています。自分の国が一番、強くなりたい、豊かになりたい、他の国を踏み台にして・・・そんな中へ日本も乗り込んでいくつもりなのでしょうか。貧しくてもみんな一緒だった時代に生きた者として、今の日本の在り方が危うく見えて仕方がないのです。
 米国合衆国がシリアの空軍基地を59発のミサイルで攻撃した時も、安倍首相はすぐに支持声明を出しました。
 どうして支持できるのでしょうか、つい最近のことです、同じようなことがありました。空爆、イラク戦争、武力で一つの国を破壊した挙げ句イラクの大量破壊兵器はなかったではありませんか。間違ってたで済まされません、劣化ウラン弾の被害で今も苦しみ続ける子どもたち、イラクは現在平和ですか。あの時いち早くアメリカの空爆支持声明を出した小泉首相(当時)は今どう思っているのでしょう。テロはどうして起こるのか、理由はたくさんあるでしょう、でも貧しさが一番の原因になっているのではないでしょうか。格差は国内だけでなく世界中に広がっています。自分たちの豊かさを見せつけておきながら、お前たちは貧乏なままで我慢しろと頭を押さえつけるのが正義でしょうか?広がっていく格差を小さくする努力の方が、武力による攻撃よりも大きな成果を上げると思うのです。
 これまでの政府が、あれほど慎重に対処してきた集団的自衛権の行使まで踏み込んだ安保法制は一体誰のための法案でしょう。
 日本政府は、本当に国民の安全を考えているのでしょうか。
 私は、政府はまた国民を捨てる気でいると本気で考えています。
 テロにも無防備な原発を海岸線に54基も抱えて、せっかく止まっている原発を次々と再稼働させる。北朝鮮のミサイルを心配しているのは、国民やマスコミだけではありませんか。こどもたちに負の遺産しか残せない親の気持ちを考えてください。


5.裁判所に対する要望

 安保法制は日本国憲法に違反していると思います。民主主義がこんなにも脆いものだとは考えてもいませんでした。私たちは法治国家日本に住んでいるのだと胸を張って言える国にしてください。
 私は裁判を起こして原告になるとは夢にも思っていませんでした。大分裁判所がどこにあるのかも知りませんでした。安倍首相のおかげで大変なことになったと思っていましたが、今は原告になって良かったと思います。原告は42名います。一人一人それぞれの想いを抱いて原告になる決心を固めた事と思います。どうか一人一人の声に耳を傾けてください。原告だけではありません。日本国憲法は自衛隊の若者たちの命も守ってきました。私は長く自衛隊の基地の街に住んでいました。友人もたくさんいます。今自衛隊員の家族がどんなに大きな不安を感じているか、原告になりたくてもなれないのです。
 友人たちの大きな不安や、先の戦争を身を挺して防げなかった父や母の思いも背負いながら裁判に臨んでいます。戦争を体験した人たちが唯一勝ち取ったものが日本国憲法です。「負けてほんとによかった」と何度も笑った父の声が聞こえてきます。ご審議をよろしくお願いします。